7/28の稽古場
〜役者論〜
reporter 丸尾 拓

たまには真正面から、芝居を語ってみようかと思ってます。今回は極めてマジメ、直球の稽古場日誌です。
テーマはリズム。
テンポって大切なんだよね、時には感情以上に。
僕達は小劇場と言われるジャンルに属しています。そう、芝居って言っても千差万別。商業演劇、新劇、舞踏、小劇場っていうカテゴリーから、文学系、エンタテイメント系、前衛、お笑い等々の表現法の違いまで…芝居って幅広すぎ。なんてとこから役者論、演劇論の切り口を求めちゃうと、大変なことになってしまいます。世にある宗教の中でどこが一番正しいのかって答えを求めるようなもの、と言えば一番近いかもしれません。その多種多様の中で『役者』というものをどう捉えればいいのか、を今日は考えてみることにします。

他人の芝居をみることには、ほんとにヒントがいっぱい転がってます。
どんな演技をして、どんなダメが出て、その演技がどう変わっていくのか。
間違いなく、演出家の考えるテーマにそってダメが出てるはずなのですから。
マトモな演出家なら…。
仮に「目的意識」というものを切り口としてみましょうか。その芝居で観客に何を伝えようとするのか、自分はどんな役回りを演じれば一番いいのか、どうすればその作品をより生かせることができるのか、それがつかめている役者は迷いが少ないです。そこではどの表現がベストなのか役者自身がいろいろ考え、遊ぶことができます。また修正も効きやすく、ダメ出しで役づくりが膨らみやすいようです。そういえば、本を「読める」役者が少ないですね。本を「セリフを覚えるためのツール」と思っているのかもしれない。だからセリフが入った箇所は読み返さない。セリフの抜けのチェックにしか、台本は使われていないということです。
感情というモノは自分勝手につくるものでなく、
相手を見つめるが故に立ち上がってくる蜃気楼なのです。
用意された感情表現で互いに心通わせることはできません、
当たり前だけど。
たとえば台本というのは、いろいろな書き方がされています。もちろん物語が流れやすいように心砕いて書かれているはずですが、シーンによっては感情の流れに無理があるかもしれない、設定にこじつけがあるかもしれない、ストーリーに飛躍があるかもしれない、それよりまず読み手(役者)の想像力が作家に追い付かない…でもそんな箇所にこそ自分の気付かない、作家の「ねらい」が隠れている可能性が高いと思うのです。セリフを立体化していくこと、それこそが役者の作業であり、面白さの神髄のはずです。演出家にまかせきるのではなく、自分の矮小な価値観で判断するのではなく。それにつけても、稽古場の休憩時間で本を読み返している役者の少ないことよ。それ自体が他の役者への、演出家への甘えだと早く気付いてほしいものです。

演劇観客人口は着実に減少しているそうです。そりゃそうだろう、って思いますよね。作り手の楽しさや自己満足ばかりに比重が置かれ、「見せる」責任と覚悟を持って遊ぶ、ってレベルにいってない役者、劇団が多すぎますものね。追い詰められるばかりでももたない、楽しいばかりでもよくない…そのバランスこそがセンスであり面白さだと僕は思っているのですが。

なんか話がそれてしまった気もするけど、ま、それはそれでよしとして。

言葉でいうほど簡単にはいかないことも重々承知なんですが、今日書いたことがもっともっと理解できる役者にみんななってくれれば、もっともっと楽しい芝居の話、ものを作るってこと、表現の話ができるのにと思って、僕は待っています。ゴドーにならないよう祈りながら。